多様性パラドックス
とむいさんの自己中パラドックスを読んで面白かったので私も自分の心の中に長年住んでいる多様性パラドックスについて話してみようと思う
より正確には多様性は確実に存在するので私が重んじるとか重んじないとかは関係なく受け入れるしかないと思っている
人生において怒った記憶はほとんどない
人間は多様な考えを持っているという前提があればその考えから出力される行動に対して怒るというのはおかしい気がするからだ
他人の言動に対して怒ってしまえばそれは相手の考えを否定する、つまりは多様性を否定するということになると思っている
なんで万有引力があるんだよ。と怒らないのと同じで相手の行動に怒ることはほとんどない
あるもんはしょうがない
大体この理論でいくと世の中の全てが「まぁ人間は多様性のある生き物だからね」になる
でもこの考えを持っていると「自分の意見」というものがなくなる現象が時々起きる
私は恋愛リアリティーショーを妻と見るのだが、そこに出てくるキラキラ高校生達についてネットであーだーこーだ批判がよく殺到らしい(私のXには現れないのだが、妻のXには出てくるらしい)
書いている人間が誰だかは知らないが高校生の恋愛の仕方にとやかく言うのはめちゃくちゃしょーもなくないか?と私は思うのだが、
よくよく考えてみるとこれは多様性を否定している
「A子ちゃん、最初はA男君が良いって言ってたのにB男君にも保険かけててきもい!」みたいな主張を私は直感的にしょーもないと思ってしまっていたが、いや別にそういう考えがあってもいいのかとも冷静になると思うのである
私がその発言に対してしょうもないと思うこともまた一つの多様性ではあるとは思うのだが、そう思うことによって私は他人の多様性を否定しているので、結局私は多様性を重んじていないのか?と思うことがある
いや、多様性は重んじる重んじないではなくて、事実存在するので、、、
私は「多様性は存在する」というスタンスをとっているだけで多様性を真に受け入れられている訳ではないということなのだろうか
実際には人間であるかぎり本能レイヤーが存在するはずなので、これがある限りは多様性を真に受け入れることはできないのだろう
いやそもそも真に受け入れる事が正しい事でもないし受け入れる必要はないんだが、、、でも実際に多様性は存在するから受け入れるとかそう言う話ではなく、、、、(以下、無限ループ)
こうして自分の意見に疑問を持ち続けるだけの人間が爆誕した
私は中途半端に多様性を重んじる事で自分の意見を持つことができなくなり、全ての事象をただただ受け入れるだけの悲しい人間なのか?
俯瞰してみれば「多様性を重んじている気になっている痛い人間」と言う属性が付いている気がする
俺って痛い人間なのか?